れんのブログ

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7•23長崎大水害を体験して思うこと

皆さんこんにちは、今日は私が体験した事を書きます。

長崎大水害から40年300人近くの人が犠牲になった。

朝からサイレンが鳴って黙祷した。それから当時をおもいだした。

 

浦上駅のすぐ近くに住んでいた頃の話、私は浜の町アーケードまで買い物に出かけた。夕方になってこれまで見たことのない大粒の雨が降り出した慌てて家に帰ったらみるみる水が溜まり出して私達親子3人。

逃げ遅れてしまって気づいたら畳も浮き上がってタンスが傾いて床下から2メートル、軒下まで達していた。うちは八百屋を営んでいたのでお店は開けっぱなしの状態で平家だったから逃げ場は無い。

 

父は泳ぎが達者だったので外に逃げるか?って母と私に聞いた。母も私も泳げ無いのでいやここに残ると言った。結局3人でタンスの上に座って僅かな空間で一夜を過ごすことになった。身体は半分水の中

 

何かもうダメかとか死ぬとかマイナスな考えは無かったように記憶している。

父はタバコが吸いたいと何処かで見つけたタバコに火をつけてたが濡れててつくはずもなくそのうち私と父は眠くなって(私と父はどんなとこでも寝る事ができる)居眠りし始めた。《身体が濡れてるので寝たら死ぬよ❗️》って母が朝まで声かけてたらしい

がそんな事は全く知らず世が明けた。水が引き始めて近所の人達が心配してやってきた。私が無事でいるか聞きに来た。なんでも夜中に女の人が流されてるのを見たらしくてっきり私だと勘違いしたらしいやはり外に出なくてよかったのかもしれない。助かったからそう言えるのかもしれないがとにかく3人ともなんとか生き延びた。妹は出かけて遅くなって帰れなくなって避難して無事だった。

 

あのままアーケードで買い物してたらどうなってかわからないアーケードは壊滅状態だった。

 

水が引いた後の我が家を見た時、皆ぼーぜんとしてしまった。どこから手をつければ良いのやら…

でも命が助かっただけでもよかったと思ってる。

この水害で沢山の方が被害に遭って大変だったが皆さん助け合い家に泊めてくれたり瓦礫の撤去食糧や衣類とか持ってきてくださり本当にありがたかった。感謝しかない。

 

あちこちで災害を見るたびに胸が痛む。これから台風の時期被害が無いことを祈るばかりです。

 

ではまた^ - ^